このトピックには3件の返信が含まれ、2人の参加者がいます。4 日、 18 時間前comet のプロフィール写真 comet さんが最後の更新を行いました。

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  • #424
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    わんこ先生
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    哲学的対話と普通の対話の違いって何だと思いますか?

    哲学的対話とはどういうものでしょう?
    哲学的対話ではない対話と何が違うのでしょう?

    それぞれが「私はこう思う」を述べ合うこともひとつの方法ですが、異なるものと比較することで、より鮮明に見えてくるものがあると思います。

    まずは、差異を浮き彫りにしてみましょう。
    参加する方は、最初に自分の意見(立ち位置)を表明をしてください。

    Q1 「哲学的対話」とはどういうものか。
    Q2 「哲学的対話ではない対話」とはどういうものか。
    Q3 どんな切り口の時、どんな差異が見えるのか。
    Q4 哲学的対話と、そうでない対話。二つを分断する基準って何か。

    参考:東京メタ哲学カフェ #8 「哲学カフェにおける哲学性とか哲学対話って言うけど、それってなに?

    ※QUESTIONSが議論に向かなそうなので、こっちにも立ててみました。立てちゃダメな場合は、削除をお願いします。

  • #425
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    わんこ先生
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    私の立ち位置として以下にまとめます。

    +——————————
    Q1 「哲学的対話」とはどういうものか。

    哲学的対話とは、「対話のテーマとなる問いがある」「問いに対して、多様な側面を明確にすることを希求する対話」ものと考えています。

    別の言葉で表現すると、「参加者が協力して問いの解答を探していく対話」です。このため、他者の人格を評価したり決めつけたり中傷するようなことは明確に禁止されます。
     例:あなたは自堕落な人ですね。
     例:あなたは差別主義者ですね。

    なお、問いの解答を探すために対話しますが、結果として解答が得られなくても良いです。

    +——————————
    Q2 「哲学的対話ではない対話」とはどういうものか。

    「より明確にすることを希求する」ことを目的としない対話が該当します。たとえば何かを決定することを目的とした会議や、持論を展開することが目的の自慢話、勝ち負けを目的とした議論、商談などの交渉、うわさ話などなどが該当します。

    別の言葉で表現すると、「参加者が謎を解く以外のことを目的とする対話」です。決議の他、自慢や勝ち負けや悪口などが目的なので、人格攻撃や中傷や侮蔑など感情を刺激する発言が多くなる傾向があります。
     例:営業会議
     例:ディベート、討論会
     例:調停

    +——————————
    Q3 どんな切り口の時、どんな差異が見えるのか。

    ■問いがあるか?
     哲学的   必ずある
     哲学的以外 ない場合もある

    ■結論が必要か?
     哲学的   不要(あっても良い)
     哲学的以外 場合によって必要

    ■議決するか?
     哲学的   しない
     哲学的以外 場合によってする(多数決や鶴の一声など)

    ■自分が勝てば内容が間違っていても良いか?
     哲学的   良くない
     哲学的以外 場合によって良い

    ■説得するものか?
     哲学的   しない
     哲学的以外 場合によってする

    +——————————
    Q4 哲学的対話と、そうでない対話。二つを分断する基準って何か。

    「参加者に、協力して問いの解答を探そうという姿勢があるか無いか」が境界線になると考えています。

    姿勢ですから、「常にある」「常にない」だけではなく、時によって姿勢が変わることもあります。これ以外の姿勢や態度が目立つほど、哲学的対話から離れていくと考えています。

  • #428
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    comet
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    #424Q1 「哲学的対話」とはどういうものか。
    A1 「哲学的」とは、「物事を根本的に考えるさま(by weblio辞書)」。「対話」とは、「意味内容のやりとりを主目的とする会話(by comet)」よって、「哲学的対話」とは、「物事に対する根本的な考えについての 意味内容のやりとりを主目的とする会話」ということになる。

    Q2 「哲学的対話ではない対話」とはどういうものか。
    A2 A1の前半部分を否定すると答えになる。つまり、「物事に対する根本的な考え以外の話題についての 意味内容のやりとりを主目的とする会話」となる。

    Q4 哲学的対話と、そうでない対話。二つを分断する基準って何か。
    A4 (1)ある物事に対する考えについて、期待している“根本的さ”に達しているか否か。 (2)対話に臨む姿勢として、物事を根本的に考えようとしているか否か。

    Q3 どんな切り口の時、どんな差異が見えるのか。
    A3 上記A1,A2,A4によるならば、哲学的対話 と そうでない対話 の差は 程度問題であるといえる。また、A4によるならば、基準は主観的に決まるといえる。従って、差異は 見出す人の主観によって見出されるものなので、客観的な切り口を示すことはできない と考えられる。

  • #481
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    comet
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    #428
    Q3 どんな切り口の時、どんな差異が見えるのか。
    の続き
    A3の続き 例えば、Aさんは「哲学的対話をしている」と認識していても、対話相手のBさんにとっては「哲学的対話になっていない」ということが起こり得る。それどころか、Bさんは「対話にすらなっていない」と感じることもあるだろうと考えられる。

    「対話」か「対話以外のやりとり」かについては、比較的切り分けが容易。
    私の定義では、対話は「意味内容のやりとりを主目的とする会話」であるから、かわしている内容は「書かれている言葉の意味内容についてのやりとり」がメインとなる。そうではなくて、「人格攻撃や中傷や侮蔑など感情を刺激する発言」等の割合が多くなれば「意味内容のやりとりを主目的としている」に該当しなくなるので、「対話以外のやりとり」と判定できる。

    それに対して「哲学的か否か」の方は、対話している当人たちそれぞれの“期待レベル”によるので、客観的視点で切り分けすることは困難だと思う。

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